2015年8月29日土曜日

タントラから自分を愛することを学ぶ③倭のセルフケア

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
昼の部の参加者のみなさまと 私はサザエさんみたい?!

昨日は、倭のタントラのエッセンスを用いながらの「倭のセルフケア」&「倭の交流会」であった。
チャクラに意識した呼吸法や、幾つかのツボや経絡を刺激するヨガのようなポーズなどを学ぶ
と共に、なぜ、セルフケアをする必要があるかについて、改めて身にしみた一日だった。

それぞれの話は面白かったのだけれど、一番なるほどと思ったのは、自分に起きた問題、あるいは苦しみと遭遇した時のこと。
あるアクシデントのような出来ごとが起こった時、その時点では、ニュートラルだという。その時点での想い方次第で、人生が変わってしまう。ここまでは、自分自身での体験からも理解できる。

エネルギーの性質として、底の方の下まで落ちたら、そこからあがってくるしかない。それはまるでテニスボールを上から落とした時に、バウンドしてより高く上がるように。もし鉄のボールのように重かったら、あまりバウンドすることができない。

自分自身にたくさん呼吸を取り入れて、テニスボールのように空気がいっぱいで軽かったら、下へ落ちてもバウンドしてあがる。だから、いつも呼吸をすることは大切だという話。

呼吸をすることや、気功をすることというのは、単に健康を保つというだけではなく、自分自身の過去への思いこみや、気付きを手放したり、苦しみを楽にするツールでもあるのだということを感じた。

shinzoさんが、師に教えられた言葉を何度も繰り返す。
「まずはじめに型を覚えなさい
 次に呼吸を覚えなさい
 詩をかきなさい        」

shinzoさんの気功のガイダンスは、まるで一つの物語のような流れを感じる。

『自分の中に産まれた大切なものを大切に大切に育てて、手放す。愛しているよ~ありがとう~と。
そうして天から自分に必要なものを受けとる』


気功をしていて、涙があふれた。何度もその言葉と気功の型を繰り返す。
執着することなく、天に与えられたものを受取り、愛の循環に生きる。

誰のためでもなく、ただ独り自分のために。



2015年8月26日水曜日

本当の共感を求める探求②自然体な在り方とは

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
先日のNVC(非暴力コミュニケーション)のクラスでは、「自然体でNVCを使えるようにするには、どうしたらよいのか?」
という質問があり、安納先生の答えが印象的だった。

「マハトマ・ガンジーの言葉を引用したいと思います。習慣と自然を混同しないようにと彼はいいます。それをやることに慣れ親しんでいるから自然とは言えません。今までのコミュニケーションとは
違ったNVCは、不自然な感じがするでしょう。あらたまって組み立ててる時は不自然?
新しいことは、できなくて当然ですよね」

これまでのあいまいなリクエストや、相手とのつながりを感じられないコミュニケーションからシフトするのだから、はじめはぎこちなくて、それが不自然と感じてしまう。

それでいいんだとまた改めて思った。

私は最近、髪を切ったのだけれど、長ーくながーくながーくどすーんと厚くて重たいロングヘアーが私にとっての普通だった。

それが自然だと思い込んでいた。でも、髪を切って、美容師さんにおまかせして今のスタイルになったら、これも自然だと思った。そんな風にものごとは、思いこみから手放して、自然体な在り方になっていくのかなと思った。

パートナーに共感リクエストをしてみた。
「今、私の言ったことはどんな風に聞こえたか教えてくれる?」
彼は、ポイントをおさえて言葉を返してくれた。
それが、心地よく新鮮で嬉しかった。
共感を求め、それがかえってくるって、いいもんだなーと。

これが、自然な形になるように、少しずつ少しずつ歩んでいこうと思った。

2015年8月22日土曜日

気持ちがふくよかになる時間~愛と死を考えるお話会より

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
8月21日は、サロン楓http://salon-fu.net/contents_311.htmlで、愛と死を考えるお話会だった。
2回目のその会には、前回から参加してくれる人もいて、
「心地よい時間だった。無理に共感しなくていいんだ。気持ちがふくよかになる時間だった」と話してくれた。

なかなか話しにくい「死」というテーマの中で、静かに凍結していた想いを話してもらったりする時間は、尊い時間になったようだった。

まほさんのお手製とうもろこしの入ったコーンおむすびと、オクラの重ね煮の素麺は、優しく美味しい味で、緊張をしていた人の心に沁み入り、心をほぐす大切なキーになっているように思う。

これからの親の介護や看取りについて備えたいと思っている方が、今回は集まったので、私の姑の看取りの体験を話した。

話を聴いた後に、嬉しかったのは「介護って大変で苦しいものだって思っていたけれど、それでいいんだと思いました。可能性を感じました」という言葉。

人が亡くなるという時には、色々な「死の壁」というものに直面する。
息が苦しくなったり、身の置き所のない辛さがきたり・・・・。
それを、横にいる看取る人がどれだけ見守れるかにかかっていると思う。

私がはじめての緩和ケア病棟でお世話になったお医者さんは、いつももっと苦しんでください~と、私が患者さんのケアについて悩んでいると、にやりとしながら、そんなことを言っていた。

生きている以上は必ず苦しみがあるという仏教の教えから、いきついた先生の考えは、万人にはうけないと思うけれど、もっともだと思っている。

後にも先にも、ナースにアイスコーヒーを淹れてくれるお医者さんは、そうそういないだろう。
先生と、冷たいアイスコーヒーを飲むのが、好きだった。

先生とのやりとりから、最近頂いた言葉。

私は最近、周囲の人に以下のように言う事が増えてきました。
『このような状態なら、苦しむ声を聞いて、苦しむ姿を見て、見守って、
命の終わりに近付いた人の、人間の、生き物の雰囲気を味わって、
二度と味わえない時間を過ごそうよ。皆で苦しみましょうよ。』
(『私自身の為に』ですよ。)

一緒に苦しんで、肉体的にも精神的にも疲れ果てた時に、その人との別れがやってきて、
一緒に死んだようになる。そうやって、本当に死別ができるのかもしれないと思う。


☆☆☆☆
サロン楓のまほさんと、二か月に一度少しずつ続けていこうということで、
次回も続きます。
3回目は 10月23日(金)19時を予定しております。
ご興味ある方は、ぜひご参加ください。


真の健康を求めて①まきまきの巻き

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
誰でしょう・・・・・

るろうに剣心に出てくる志々雄でしょうか?
いえ・・・・私でございまする。


何度みても、自分の写真でありながら、面白い。。。。。

三軒茶屋でファセテラピーをされる千景ちゃんのサロンを訪れた。
https://www.facebook.com/SalonDeSora?pnref=about.overview
現在、あらゆるデトックスを試し中の私なのだけれど、「アユールヴェーダとタラソテラピーと、骨盤矯正を一挙にされるハーブスリムはすごいのよ~」と言う言葉にひかれ、通称まきまきしに挑戦することにした。




ハーブと海泥をしめらせたタオルをまき、そのうえにバンテージをまき、さらにサランラップをまくという。巻かれる方も、巻く方も大変なまきまき。。。


頑張れ千景ちゃん!と応援する私・・・。

足から巻いていき、ミイラのような姿に・・・・。
バンテージを巻いたりする施術は他に受けたことはあるけれど、これの気持ちがよいのは
ハーブと海泥のしっとりしたエキス。

巻き終わって1時間近く横にころがっていなくてはならないのだけれど、その間も千景ちゃんの、
ゴッドハンドの顔のマッサージをしてもらえる。

ファセテラピーは、顔を触れる際に、体のリズムと同調するように、触譜という考え方をもつ。
顔を優しく奏でるように、気持ちがよい。

いつしか、意識がとんでいた・・・・・。

まきまきをはずしてみると、足のむくみがずいぶんすっきりして、お腹もくびれができていた。

普通のバンテージだとすぐに戻ってしまうけれど、ハーブの効果が持続して、そのままを維持できるのだそうだ。

これは、患者さんで浮腫んでいる人にもよいなと思った。
絶対ニーズはあるだろうなと、すぐ仕事モードになる私なのであった。

☆☆☆
サロン 街のイスキアでもデトックスできる施術を行っております。

チネイザン& レインドロップ ご予約 承り中

2015年8月21日金曜日

弔いのお花

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
訪問看護のお仕事の中で、亡くなった方に訪問に伺い、お話を聴くというグリーフケアをすることがある。正直、このケアは一銭のお金ももらうことができない。介護保険や医療保険どの制度からもはずれる。

それでも、これまで在宅での療養を続け、通夜や葬儀など目まぐるしく忙しくされていた御家族への労いをかねての訪問は大切なことだと思っている。

学芸大学の大好きなお花やさんFANで、淡い感じで優しいアレンジをとお願いをして、おうちに訪問した。
http://flower-fan2.blog.so-net.ne.jp/

部屋に入ると、遺影の写真と共に、特製の様々な写真を集めた「ありがとう」のボードが飾られていた。御家族は、まだ色々とした雑務に追われ、忙しそうにみえた。

介護をしていくうえで、私達は彼らにとって同志とみえるのではないかと思う。一人だけでは、決して在宅介護をすることは困難だ。時に悩み、苦しみ立ち止まり、どうしたらいいのか分からない時に、やはりプロの力が必要だ。頑張っている御家族をみると、私達も何とか少しでも、家族の助けになりたいと思う。

在宅では家族も私達医療者もみんなが一つになってのチームなのだ。

ご家族と話をしていて感じたのは、やはり死んでいる人をみる機会がない人にとって、死ぬ間際に何か医療的行為をしないことが、人を殺してしまったのではないかと思うことだ。

朝、ご家族が目を覚ますと、すでに呼吸をしていなかったその人に対し、自分のせいで死んでしまったのではないかと、家族ははじめ慌てていた。

こういうことは実際、家でなくとも病院でもあることで、夜勤者がラウンドすると、すでに呼吸が止まっている。私自身もそのような経験は何度かある。

死に目に会えなかった家族は、複雑な心境をもつが、故人は一人で旅立ちたい人もいるのだと思うようになった。

一般の人の中には、テレビや映画の映像から、呼吸停止すると、心臓マッサージなどの心肺蘇生をするのが当たり前であり、それをしないのは人を見殺しにしていると思う人もいるのだと、感じることがある。

しかし、終末期と診断を受け、生を長引かせるための延命処置をはせずに、尊厳死を望む人たちにとっては、ただ呼吸が止まるのを見守られることが、一番のケアになり、決してそれは殺人を補助したということにはならない。


終末期医療や、延命処置について、学びたい方は緩和ケア医の大津先生の本を一読されたし。

先生はみじめではない安らかな週末を迎えるためには、
1.病気への正しい理解ー最初から最後まで、自分の病気に対して目をそらさずに真実を追求する姿勢が大事であり、きちんとした病気の知識を手に入れることが必要

2.がん告知、終末期に対するシュミレーションー事前に家族と死や告知について話しておくことが大事でそれが必要

3.緩和医療を受けることー緩和医療に精通した石川貴章にかかることが大事でそれが必要

4.延命治療を拒否することー延命治療という言葉で一括りにせず、必ず具体的な一つ一つの治療についてその必要性を可能な限り十分話し合うことが必要

とまとめていられる。私は、何よりも、医療者任せにせず、自分自身が目をそらさずに真実を追求していくことが大事だと思っている。

家に帰りつき、ご近所の女神にいただいたお塩でお風呂に入った。こうしてエネルギーチャージをするのは、大切なセルフケアになる。

さて、もう本日になってしまったけれど、21日の夜はサロン 楓のところで、ほほ笑みながら、ら、看取るために看取られるためにできることのお話会。あと1席だけ空いているそう・・・・。このブログのリアルな話は現地で。ご興味のある方はをのぞいてくださいませ。http://www.salon-fu.net/contents_311.html


2015年8月19日水曜日

タントラから自分を愛することを学ぶ ②火のエレメンツ

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや



倭のタントラワークショップの構成要素で、欠かせないのが陰陽五行の考え方だ。チネイザンを学ぶ中でも、陰陽五行の考え方は要となるのだけれど、Shinzoさんのレクチャーは分かりやすくて、面白かった。

Shinzoさんは、季節や1日の時間、人を観るうえで、この五行の教えが全て入っていて、それらを活かしているのが面白い。学びを得てから私自身が変わったのが、その人を観る時に、5行のどの要素が強いのかをみるようになったことだ。

5行というのは、体のはたらきを5つの木火土金水のエレメンツに分類したものを示し、それらが互いに補いあったり、抑制したりする性質があるということ。

これらは、それぞれ一人の体の中に存在するなくてはならないものであるが、人によっては、そのエレメンツが強かったり、弱かったりする。

自分の性質をみた時に、自分では意外と思ったが、「火」の要素が強かった。火は燃え上がりやすく、またどんどんと広がる性質がある。キャンプファイヤーなどの中心となり、熱心なリーダーシップをとったり、または感情的になり、感情のコントロールが難しかったりする。

そして、火は季節でいうと、まさに夏。火が熱を持ち、とくに太陽が出ている昼間は熱中症になる人達がいるのは、御存知の通り。火の性質が強い私にとって、今の灼熱の昼間に自転車にのって訪問に行く仕事は、正直きつい。

火が強すぎてしまうからだ。火は臓器で示すと「心臓」であり、循環器系の働きを司る。連携先のスタッフが、この暑い中を、テニスをやり過ぎて、心筋梗塞で倒れたという話を聞いた。今の時期は、本当に心臓に負担をかけるようなことは、まさに too much で、気を付けた方がよい。

火は水をかければ消えてしまうように、火が強すぎる場合には、やはり「水」のエレメンツを補ってあげればいいのだ。


パートナーと喧嘩したり、仕事でいらついたりすると、気持ちが高ぶって眠れずに、この燃え盛る気持ちをどうしたらいいのか、よく四苦八苦していた。

そんな時自然とプールに行って、ただひたすら泳いだり、お風呂に入ったり、銭湯に行って水風呂に入っていた。何か流れる水にあたったり、燃え盛る火を打ち消すような静けさを求めていた。
まさに、理にかなっていた行動だったのだと振り返る。

舌と心臓は繋がりがあるということで、ヨガのポーズでライオンのポーズを想いだした。

ライオンのポーズは、あかんべーのように、目を見開いて、舌をおもいっきり出すポーズ。
夏にはこの体操がいいよ~と、本日訪問看護に行った際に利用者さんに教えると、
笑いころげてやってもらえなかった。

「そんな面白い顔・・・・私にはできないわよ」
そそそそ、そんなに面白いかな。

ライオンじゃないけれど、「一〇〇〇〇〇〇回いきたねこ」を先生として

【ライオンのポーズ】
①イスに座ったまま目を閉じて下を向き、リラックスして、深くひと息吐く

②ゆっくり大きく息を吸い込みながら、顔を上にあげる。胸を少し張るような気持ちで

③顔全体の筋肉を使って大きく息を吐く。舌を想い切りだし、目は大きく開いて目線は上に
(あかんべーするイメージで)

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2015年8月18日火曜日

タントラから自分を愛することを学ぶ①

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
私がはじめての海外旅行に行ったのは、看護学生時代に友人に連れていかれたインド旅行。今から20年近くも前のことになるので、やはりインドは暑くて、熱くて厚かましいくらいに面白かった。

布にくるまれていた死体の匂いもかいだことも、ガンジス河で人が焼かれていくのをみたことも、マザー・テレサの死を待つ家で、世界中の人たちとボランティアをしたことも、全てが新鮮だった。

インドにいて惹かれたものの一つに「kama sutra」がある。古代インドから伝わる「性愛論書」と言われるものだ。本や映画や画集など、たくさんの学ぶための指南書が出ている。それだけ、関心が強い人が世の中には多いのだと思う。

エネルギーを高めたり、学んでいくうえで、「セクシャリティ」や「セクシャルエナジー」について無視することはできないと思う。私は、ずっとそのことに関心があった。死「タナトス」に惹かれる反面、「エロス」にも惹かれていた。

そのうちに、私は「タントラ」という瞑想をベースにしたワークショップに出会った。そこで学んだことは、自分の中にある力強く生きる喜び、根源に流れる愛、悦びを持って生きていくこと・・・・。

学びながら、歩みながら、楽しんだり、立ち止まったりしているうちに、taoの陰陽五行や指圧、気功や呼吸法をとりいれた「倭のタントラ」というメソッドに出会った。http://www.tantra-japan.com/

自分をそのままで受け入れ、相手をそのままに受け入れ、お互いに委ねたときにオーガズムと悦の世界に在る、宇宙の本質に触れられるために『倭のタントラ』がある。

どうしても、パートナーに愛してもらいたい、もっとこうしてもらいたいという我から逃れられない私にとって、どこまで行っても、自分を愛すること以外、道はないのだなと感じた。

このメソッドの中で大切にしているのが、「ブランコの法則」 ブランコにのった相手をフォローする時、押して、少しひいて相手を迎えいれて、また押してを繰り返す。
必ず相手に愛を差し出しても、それと同時に愛を自分の中に迎えいれること。

それらの繰り返しを、ただひたすらしていくことなのかもしれないなと思った。

相手への自己犠牲を払う関係性に気付きながらも、どうすることもできなくて、自分を愛するということが足りなかった昔の私。

その私に、大いなる敬意を払い、循環する愛のエネルギーの中にいる私へとシフトチェンジしていく。

自分を慈しむことから、人間本来の人々がもつ慈愛や慈悲に寄りそう世界を映しだしたい。

              尊敬する『倭のタントラ』のShinzo&Asami さんたち


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2015年8月15日土曜日

家で死ぬということ ①亡くなった後のエンゼルケアの役

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
家で亡くなるために必要なことは、一にも二にも本人と家族の強いコミットメント「最期まで家にいたい」という気持ちである。

それ以外には、亡くなった後の死亡診断書を家に来て書いてくれる医者と、看取りまでを支える訪問看護師がいれば、何とかなる。最期の数日、数時間というのは、どうしても体に変化が起こり、呼吸が変わったり、身体が動けなくなってどうしようと困ることがほとんどだ。
その時に、電話で相談できる人がいるというのは、心強く、大切な旅立ちに向けての体と心の準備をするのに助けになるのだと思う。

お盆の最中には、ご先祖様が迎えに来てくださるのか、亡くなってしまう人が多かったりする。
今日は、在宅でのエンゼルケアについてつづってみたい。

家で亡くなった後、訪問看護には大きな仕事がある。
それは、息をひきとった後の体を綺麗にすること、身体が傷まないように適切な処置をするエンゼルケアである。
そして、一番大切なのは残された家族への心のケアをすることだ。

葬儀やさんなどの業者にすぐ委託して、エンゼルケアをしない訪問看護事業所もあるようだが、今までその人にかかわっていたナースがケアすることに、大きな意味があると思っている。私達自身も、亡きその人への最期の別れに、身体に触れることで、さよならをすることができるのだと思う。

病院でもそれらはやってきたことだけれど、家で看取った後の違いを感じた。

病院の中での大きな違いは、家族だけで看取りができること。
一般病院では、モニターが装着してあるため、心臓が弱ってくると、医療者の出入りが激しくなり、何とも落ち着かない中にある。家族は、その人をみるよりも、モニターをみているのが、印象的だった。
緩和ケア病棟などの器械をつけない場所でも、医師や看護師が部屋をいったりきたりする。

もちろん、状態の変化があり、在宅医や訪問看護師が、訪問中に亡くなることもあるけれど、静かに息をひきとるのを
見届けることができるんだと思った。

人の体は亡くなると、誰もが知っているように硬直していく。最後まで使っていた筋肉から硬直するので、呼吸をしていた口から固くなっていく。
まずはじめに、口を綺麗にしてあげることからはじまる。葬儀やさんの手配や待っている時間のことを考えると、ナースがすぐに駆けつけて、すぐにケアができるのは大きいことだと思う。

家族と共に、ベッドの上で髪の毛を洗ってあげたり、足や手を洗っていると、体が不自由な中でも、シャワー浴をしていたことを話したりする。
「ここら辺がかゆいって言うんですよね・・・・・」ぽつりぽつりと、これまでの話していた言葉を口にする。
大変でありながらも、今となっては愛しい記憶をたどる大事なプロセスだと思う。

「まだあったかいですね・・・・」家族が一番よく言う言葉だ。その言葉に、まだその人に生きていること、命がかよっているいることを感じていたい想いが伝わってくる。愛する家族の最期の温もりを、共にエンゼルケアをすることで、受取れるのだと思う。

着せたい服や、アクセサリーをつけて、化粧をする。これも家ならば、すぐできることだ。

ナースとして悩ましいのは、その人の元気な時の眉毛を描くこと。
「どんなお化粧していましたかね?」と質問すると、さっと元気だった時の写真が出てきて、
「眉毛命でしたね。こんな感じでお願いします」とお願いされる。
そして、今まで使っていた化粧品を使えるのも、すごく嬉しいことだ。

私が何とかその写真をみて、お化粧をすると
「もうちょっと眉毛をこうして下さい。上唇はこんな感じで・・・・」と細かい注文がくる。
「すいません。最期なんでワガママ言わせてください」

どんどんワガママを言って欲しいと思う。これまでの家族の介護への尊敬と労いをこめて、どんなことでもやってあげたいと思う。数日の間、愛する人の顔をみるということを想えば、妥協は許せないと思う。
これも、これまでの信頼関係の中で、ワガママが言えるのではと思う。

全てのケアが終わった後、本当にお別れなんだなと思うと、家族と一緒に涙がこみあげてくる。

『悲しみが深いほど、その人を大切に想っていたこと、愛しているということなので、
どうぞその気持ちを大切にしてください。泣いていいんですよ』
との言葉をかけて、帰るようにしている。

泣くのを我慢しようとしている人をみるほど、我慢しないでいて欲しいと願う。
自分の中にある嘆きを大事にする人ほど、悲嘆のプロセスが早くすすむからだ。

自転車をこぎながら、わずかなその人の人生の中で、関われたことを振り返る。もっとこうしてあげればよかった・・・・
という想いの方が多いかもしれない。家族はもっとそんな想いにかられているのだろうと思う。
できるだけ悔いのない看取りをできるように、支えていきたいなと、また改めて思った。




2015年8月11日火曜日

本当の共感を求める探求 ~  ①するべきと思っていることほど、赤信号

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや



NVC(非暴力コミュニケーション)と出会ってから、もうかれこれ3年経っていた。
ナースの仕事をしていくうえで、傾聴や共感について、コミュニケーション能力を深めたくて、様々な研修や先生のお話を聴きにいった。

「話を聴くと、気持ちが整理されて、すっきりする」ということは、よくあることだけれど、その先にある何かを理解したいところがあった。

そんな私には、NVCがコミュニケーションや、人との関係性をよりよくする為の在り方として、可能性を感じた。

NVCで大切にしていることは

☆ある体験を得て自分が感じている感情

☆そしてその感情の根底にあるニーズ

☆これらを客観的に観察すること

☆両者のニーズをそれぞれに満たすようなリクエストをすること  と理解している。


6月からはじまったNVCの基礎コースに運よく参加することができ、毎回の学びを楽しみにしている。1回の2時間半が、素晴らしい先生のおかげで、毎回あっという間で、脳天かち割られるくらいの衝撃がある。

本日は10回コースのうちの8回目。お題はリクエストということであったが、
はじめの演習で、見事私は相手を攻め立てるような、要求をしていることに気付かされた。

残念ながら、私はいつも相手を攻め立てるような話し方をする家庭の中で育ったため、穏やかに会話するという経験がとにかくない。

パートナーに対して不満が募るとすることはといえば、自分の感情が湧きたつままに、それを相手にぶつけていた。それらにおびえ、フリーズするパートナー。

母親が父親にしていたように、同じパターンを繰り返す。そして、言い訳のようにこのやり方しか知らないからと、自分のコミュニケーションの姿勢を、いまだ両親のせいにしているのにも気付かされる。

power with の両者どちらのニーズも大切にするリクエストの仕方は、
客観的におこった事象に対して、自分にどんな感情が起き、ニーズがあるかを、相手の受取りやすい言葉で伝えるということ。

当事者のつながりありきが前提のリクエストは、
「今の話を聞いて何が聞こえましたか?聞こえたことを言ってみてくれませんか?」
と、共感と共にあること。

私のよく出てくる想い・・・・・

「こうすべきなのに!!!!」

この「~べきだ!」という想いは、人のせいにして、自分の責任を放棄していること、また無力感からきていることがあるという。

自分に責める材料として使っていることもある。

満たされていないニーズとつながること、相手がそれを言っていたら、
「○○してほしいと強く望んでいるんですね」と言い換えること。

自分の軸に戻すことが大切だということを学んだ。

最近自分がある人に対して
「人を大切にすべきなのに、○○さんはそうでない!」とラベルを貼っていた。

みーちゃん先生にズバリ
「誰もが人を傷つけるためにある出来ごとをするわけではない。不本意にそうなってしまった中での相手のニーズは何だろう。自分が感じていることを相手に伝えないとだよね」と言われて、頭が真っ白になった。

私は相手を責めていた。無意識の中でラベルを張り続けている私は、何かあるごとに感情を閉ざしていた。分かってもらえない相手だから、もうこれ以上何も言うことはない・・・・。
そういったことをしている私に、私は暴力的だったのだ。

何をおいても、自分の痛みやニーズとちゃんと繋がることが、何よりも大切なんだなとまた改めて思った。
自分と繋がった時に、ようやく相手の世界がみえるようになる。


NVCの核であるニーズとは、

「掘り下げてある宝物、いのちをいかす精いっぱいなもの。かけがえのない生命のエネルギー」と安納先生は最後にくくった。


☆☆☆
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2015年8月7日金曜日

エロス・タナトス~愛と死を考えるお話し会 vol2


クリムトの『死と生』の画をはじめてみた時、動けなかった。
感動と共に、愛と至福に生きる人の横には、いつも一瞬で消え失せられてしまう死神がいるんだなと思った。闇と光の中で、自分はどうやって生きて行くのかを指差しているメッセージなんだろうと、涙した。

サロン楓http://www.salon-fu.net/のまほさんとのコラボレーションで、死についてのお話し会をするということになった時、まほさんは、「エロス・タナトス~愛と死を考えるお話会」と命名づけてくださり、嬉しかった。

死をみつめるということは、同時に生をみつめるということ。その両方があってこそであり、
私の胸にあるクリムトの絵がよみがえってきたのだ。

まほさんとお話会をするに至ったのには、いきさつがある。

まほさんから、一通のメールが届いた。「父親を通して、いかに死ぬのかを考える機会が訪れました。人はいかに死ぬのか?というお話を聞きたいのですが」という内容であった。

まほさんは、私の話を聴きながら、自信の疑問や、感情、家族の想い、そして父親に何ができるかということを、整理していった。

彼女の凄いところは、ちゃんと感情を感じながら、それらを少し離して、物事をみつめているところだった。
さすが、からだとこころがつながるサロンをされているだけに、自身の肉親においても、しっかりと考え、行動しているのが素晴らしいと思った。

まほさんと話をしていくなかで、「ホームホスピス」という場所のが浮かびあがってきた。、まほさんは、早速行動に移され、場所がみつかると共に、あっという間にホームホスピスで療養することが決まった。

ホームホスピスhttp://www.npo-hhm.jp/index.htmlとは、宮崎の市原 美穂さんから発信された住み慣れた地域で、安心して最期までくらしていけるように5人くらいで「とも暮らし」をする場所である。

ヘルパーが24時間在住しており、外からくる訪問看護師と訪問診療医で、一人で暮らせなくなった人や、家族の介護力が不足している方々が、おうちのような温もりや安心感をもって暮らせるように支援している。

市原さんの活動に共鳴して、少しずつ全国でホームホスピスが増えている。

私は、病院から地域に出たのは、やはり病院の外にいる困っている人を支援したいということであった。

病院の医師や看護師たちから聞けないこと、知っておいてほしいことを、なんらかの形で発信したいと思っていた。

今回、まほさんとのご縁で、お話会をする機会が得られて、本当にありがたく嬉しいと思っている。

1回目は、10人以上も集まり、「死が怖いと思っていたけれど、少し和らいだ」という言葉や、「ずっと話せなかったことを話せて嬉しかった」と、緩んだ笑顔をみれて私自身も救われた。

私自身がたくさん話をするよりも、その人その人自身がみつめている死についての想いを、共有すること、医療者としての目線からみえることをお伝えすることが、私の役割なのだと気付いた。

ぽつんぽつんとやっているので、タイミングのあう方は、ぜひ参加していただければと思う。

【残席2名】お早目にお申し込みください。

日時:8月21日 19時~21時30分(18時開場)
場所:東京目黒さろん楓http://www.salon-fu.net/contents_311.html
会費:5000円(美味しいおむすびつき)




2015年8月6日木曜日

白湯の効果

さて、その昔私はなんと新潟から東京の祐天寺までアユールヴェーダを習いに来ていたことがありました。10年も前になるのだけれど、朝イチの新幹線に飛び乗り、半年くらいのコースをただひたすら受けて、学んでおりました。

今は、その通っていたハタイクリニックhttp://www.hatai-clinic.com/の近所に嫁に来るとは思いもよらなかった・・・。

そんなアユールヴェーダスクールでは、色々と役に立つことを教えてもらったけれど、体によい飲み物は白湯だということが一番心に残った。

白湯は、体に負担をかけずに、血液の流れをよくして、老廃物の排泄を助けてくれるもの。

カフェインが入っているようなお茶やコーヒーは、すぐに尿として排泄されてしまうけれど、白湯は体の水分補給としてしみ込んでくれるという。

朝起きたら一杯の白湯・・・・・を、想いだしたように飲んでいた私に、チネイザンのクライアントさんが、寝る前の白湯を進めてくださった。

寝る直前にあちあちフーフーしながら、なるべく熱いままの白湯を飲むのだという。
寝起きがすっと起きれるようになり、排便にもいいのだとか・・・。

お客様は宝です・・・・じゃあないけれど、本当皆さん、私に有益なことを教えてくれるから、お金を頂きながら、いつもありがたいことを学ばせていただいている。

ということで、最近なるべく朝起きた時と、寝る前には5分~10分ほどぐらぐら火にかけたお湯を200CCほど飲んでいる。

朝飲むとまず、どばっと汗が出て体の末端まで温まるのが爽快だったりする。

昨日は、友人のお誘いで横浜の花火大会まで出かけて、たくさんの御馳走とお酒をいただいてしまいました。
そして、高層マンションからみる絶景の花火をみて・・・・・踊って笑って楽しい時間を過ごしたのでした。


へろへろになって帰ってきて、早速したのは、白湯を飲んで寝ること。
花火の余韻にひたりながら・・・・。



次の朝、二日酔いにもならず、すっきり起きられたのは、やはり白湯のおかげではないかと。

改めてお白湯すごいぜー。さすが、アユールヴェーダーだぜーい。

2015年8月4日火曜日

合気(愛魂)道場再び その2

私は自己肯定感や、自己愛が低いので、相手に求められ、自分を必要とするようなパートナーと共依存的な関係性をもつことが多かった。

また父親からのいつも言われ続けた「一生懸命やれ」という言葉の呪縛があって、自分が一生懸命相手に尽くせば、いい結果が返ってくると期待をすてられなかった。

そういったことを繰り返し、この事象について気付いてきたが、姑との関係性は、本当に根本的な在り方を変えないと難しい状況にあった。

愛魂は、ただその相手に対し、一瞬「愛する」「愛しいとおもう」スイッチに変えればよいので、可能性を感じた。

「ただ愛すればいいんだよー」という言葉を思い出し、姑といる時間には、「愛する」スイッチへと変換するように心がけた。私が最も得意とするマッサージという技術をつかって、毎日姑へ愛魂の実践をはじめた。

1か月もすると、姑は「幸せだわー」というようになり、心からの笑顔をみせるようになった。

一番驚いていたのはパートナーであり、「あの母を変えた・・・・」と喜んでいた。


愛に勝るものはないと、姑をとおして学んだ。
愛魂の実践なくしては、姑を看取るのは難しかったのではと振り返る。


そんな姑との想い出を想い出しながらの久しぶりのお稽古では、はじめに組む相手と「背中合わせ」をし、それから技をかけあう。この背中合わせは、相手との境界線をこえやすくし、同調しやすいのだという。

自分よりも大きい体を力で倒そうとすると、それは難いが「ありがとう」という想いがうまく伝わると、相手を倒すことができる。

なかなか技がかからないと、いつも助けてくれる吉野さんは
「動かせないって思っているでしょ。可能性をブレーキするのは、他の誰でもない自分なんだよね。鼻で呼吸してごらん」とアドバイスをくれる。

その呼吸がリセットのボタンのように、私は大きな体の吉野さんを、よろめかすことができた。

愛魂する時、抵抗するよりも相手をふわりと受け入れる感覚がある。この受け止めてもらう感覚が、相手に伝わることが何よりも大切なのかもしれないと改めて思う。



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【予約可能な日時】※サロン改造中につき、施術できる日時が限られております
8月 9日(日) 13時~
8月11日(火) 10時半~ 13時半~ 16時~  19時~
8月18日(火) 10時半~ 13時半~ 16時~  19時~
時間の前後は調整できます。

2015年8月2日日曜日

合気(愛魂)道場 再び

最近ちょっと嬉しいことがあった。

去年とある雑誌の投稿に、姑の看取りについて論文を作成し応募した。
結果、落選であったが、なぜか忘れた今頃に、雑誌に掲載してもらうことになった!!

改めてその論文を読むと色々な想いが想いだされる。内容については、また折りをみて報告することとする。

私が姑の看取りを夫と共に成し遂げられたのは、愛魂の実践なくしてはあり得なかった。

愛魂とは、岡山のノートルダム清心女子大学大学院の物理学者である保江教授により見出された柔術体系である。

もともと合気道をされていた保江教授は、相手のことを大切に思う、愛することで、相手の筋肉を自分の意識下におけることを見出した。それが冠光流柔術である。http://www.kankoujiryu.com/nyumon.html

詳しくはこの本を読まれたし・・・・めちゃ面白い。




道場ですることは、先生や先生のお弟子さんにより、相手を愛することや、ありがとうという言葉を言いながら、相手を起こしたり、倒したり、ひっぱりあげたりする。合気道のように、相手をバターンと倒す技もする。

技がかかると、本当にあっさりと相手の体を、力まかせに動かすのではなく、自分の意に沿うように動かせるのだ。

今日も久しぶりの稽古を受けたが、自分が相手との境界線なく、相手と同調すると、相手の体を楽に動かすことができた。

私が姑との関係性において一番気付かされたのは、私のコミュニケーションのやり方は、自分が何かしたら、相手からのリターンを求めているという在り方であった。

見返りを求めるコミュニケーションに、姑は心を開くこともなく、行き詰っていた。

そんな時に、愛魂を実践するお弟子さんに「愛すればいいんだよ~」とあっさりと言われた。

それができないから、苦しんでいるのに・・・・と思ったけれど、心を無にしてただ愛することに意識を向けた。

次回につづく


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2015年8月1日土曜日

ブルームーンに髪の毛をドネーションする

ブルームーンは、ひと月のうちに2回満月が訪れるという日。「めったに訪れない幸運なこと。みると幸せになる」という言い伝えがあるとか。

昨日は、SNSを眺めていると、たくさんの人がお月さまを写真にアップしていました。月を愛で、楽しんでいる夜だったんだなと思うと、それぞれの場所で月と一緒に呼吸をしていたんだなと感じました。

この満月を期に、また一つの大きな区切りを迎えられそうで、ふと思いたち、髪の毛を切りにいってきました。

私のスーパーロングヘアーは、敬愛するベリーダンサーのmishaalや、彼女から教えを受け継いだsisterをみて、長い髪にしていたかったのでした。そして、「子供ができるまで切りたくない」という密やかな願かけをしていました。

髪の毛が長いというのは、それだけ髪を洗う時間も、乾かす時間も、整える時間もかかるわけで、実は色々と大変なことが多いもの。酵素風呂に行って髪の毛をあらうのに難渋してしまい、髪の毛を切ってしまおうかと、思うようになりました。

そんな時、つきよみサロンの千秋さんが、めちゃ素敵な髪形になっていて、センスの良い彼女がめちゃ惚れしているという美容院に興味を持ちました。
美容院の名前はその名も「イエス・ジョージ」http://homepage3.nifty.com/yesgeorge/
髪の毛を切る機会は、色々あったけれど、なぜかふん切れがつかなかったのに、今だー!という想いがわいてきました。

そして、私の髪の毛は、かなり毛量が多く、色つやがよいと、よく褒められるので、これをいかそうと考えました。そこで、ヘアードネーションということを思いつきました。
 詳しくはJHDCの活動をみてください http://jhdac.org/about/

髪の毛の長さは最低でも30センチが必要とのことで、難なくクリア!
私の想い重いおも~い髪の毛も、ひと様の役に立つならばと嬉しくなりました。

前日には長い髪の毛にさよならするのに、サリーを着て記念撮影。
【御近所に住む美魔女のるぴな様撮影】
髪を切る当日は、調金デザイナーのももさんにも、お願いして花を持って撮影。
そして、いざ「イエス・ジョージ美容院」へ。
美容院につくと、スタッフの人が優しく迎えいれてくれました。
店内は、アンティークの骨董品が多く、都会のオアシスのよう。
45年の歴史をほこる美容院。


髪を切る前・・・・・改めてめちゃ長い。お尻の割れ目までありました。
こんなに長くして、綺麗な髪はなかなかないとお褒めの言葉を頂きました。


定規で測って35センチ近くを束ねると、トランプ模様みたい?!
「自分で切ってみますか?」と言われ、ジョキン・・・・・・。何とも言えない感触。。。。
切った後の髪の毛の束。。。。かなり多いと思われます。
そして、まるで学生のような・・・・・日本人形のような頭。「若返りましたね!」と言われました。
正直、思いっきり、ざっぱり切ってもらってよかったのだけれど、切ってくださったスタイリストの方は、少しずつ髪形を楽しんでもらえるよう、また長い髪の余韻を楽しんでもらえるよう配慮してくれたスタイルになった。

尚且つ、「アップするには、ちょうどいい長さなんですよー」といくつかの簡単なアップ方法を教えてくださった。


最後に、ジョージさんと。恐れ多くて、ジョージさんに切ってもらうのを躊躇してしまったけれど、次回は彼にいじってもらいたいな。昔はめちゃめちゃもてまくっていたようだけれど、今は自称おじいちゃん。何十年と仕事をしていても、お客様にたいする謙虚さと、真摯な態度はみていて素晴らしいと思った。


家に帰ってパートナーにみせると、言われた言葉が

「ジョン・レノンみたい・・・・・・」と一言。

ええ?!!!!
そそそそ、そうですか。微妙な反応に、ちょっとしょんぼりな私。

翌朝体重を測ると、1.5キロほど減っていた。
そりゃあ重たいはずだよね。

今月は心と体と家のものをどんどん軽くさせますー。