2015年8月15日土曜日

家で死ぬということ ①亡くなった後のエンゼルケアの役

目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
家で亡くなるために必要なことは、一にも二にも本人と家族の強いコミットメント「最期まで家にいたい」という気持ちである。

それ以外には、亡くなった後の死亡診断書を家に来て書いてくれる医者と、看取りまでを支える訪問看護師がいれば、何とかなる。最期の数日、数時間というのは、どうしても体に変化が起こり、呼吸が変わったり、身体が動けなくなってどうしようと困ることがほとんどだ。
その時に、電話で相談できる人がいるというのは、心強く、大切な旅立ちに向けての体と心の準備をするのに助けになるのだと思う。

お盆の最中には、ご先祖様が迎えに来てくださるのか、亡くなってしまう人が多かったりする。
今日は、在宅でのエンゼルケアについてつづってみたい。

家で亡くなった後、訪問看護には大きな仕事がある。
それは、息をひきとった後の体を綺麗にすること、身体が傷まないように適切な処置をするエンゼルケアである。
そして、一番大切なのは残された家族への心のケアをすることだ。

葬儀やさんなどの業者にすぐ委託して、エンゼルケアをしない訪問看護事業所もあるようだが、今までその人にかかわっていたナースがケアすることに、大きな意味があると思っている。私達自身も、亡きその人への最期の別れに、身体に触れることで、さよならをすることができるのだと思う。

病院でもそれらはやってきたことだけれど、家で看取った後の違いを感じた。

病院の中での大きな違いは、家族だけで看取りができること。
一般病院では、モニターが装着してあるため、心臓が弱ってくると、医療者の出入りが激しくなり、何とも落ち着かない中にある。家族は、その人をみるよりも、モニターをみているのが、印象的だった。
緩和ケア病棟などの器械をつけない場所でも、医師や看護師が部屋をいったりきたりする。

もちろん、状態の変化があり、在宅医や訪問看護師が、訪問中に亡くなることもあるけれど、静かに息をひきとるのを
見届けることができるんだと思った。

人の体は亡くなると、誰もが知っているように硬直していく。最後まで使っていた筋肉から硬直するので、呼吸をしていた口から固くなっていく。
まずはじめに、口を綺麗にしてあげることからはじまる。葬儀やさんの手配や待っている時間のことを考えると、ナースがすぐに駆けつけて、すぐにケアができるのは大きいことだと思う。

家族と共に、ベッドの上で髪の毛を洗ってあげたり、足や手を洗っていると、体が不自由な中でも、シャワー浴をしていたことを話したりする。
「ここら辺がかゆいって言うんですよね・・・・・」ぽつりぽつりと、これまでの話していた言葉を口にする。
大変でありながらも、今となっては愛しい記憶をたどる大事なプロセスだと思う。

「まだあったかいですね・・・・」家族が一番よく言う言葉だ。その言葉に、まだその人に生きていること、命がかよっているいることを感じていたい想いが伝わってくる。愛する家族の最期の温もりを、共にエンゼルケアをすることで、受取れるのだと思う。

着せたい服や、アクセサリーをつけて、化粧をする。これも家ならば、すぐできることだ。

ナースとして悩ましいのは、その人の元気な時の眉毛を描くこと。
「どんなお化粧していましたかね?」と質問すると、さっと元気だった時の写真が出てきて、
「眉毛命でしたね。こんな感じでお願いします」とお願いされる。
そして、今まで使っていた化粧品を使えるのも、すごく嬉しいことだ。

私が何とかその写真をみて、お化粧をすると
「もうちょっと眉毛をこうして下さい。上唇はこんな感じで・・・・」と細かい注文がくる。
「すいません。最期なんでワガママ言わせてください」

どんどんワガママを言って欲しいと思う。これまでの家族の介護への尊敬と労いをこめて、どんなことでもやってあげたいと思う。数日の間、愛する人の顔をみるということを想えば、妥協は許せないと思う。
これも、これまでの信頼関係の中で、ワガママが言えるのではと思う。

全てのケアが終わった後、本当にお別れなんだなと思うと、家族と一緒に涙がこみあげてくる。

『悲しみが深いほど、その人を大切に想っていたこと、愛しているということなので、
どうぞその気持ちを大切にしてください。泣いていいんですよ』
との言葉をかけて、帰るようにしている。

泣くのを我慢しようとしている人をみるほど、我慢しないでいて欲しいと願う。
自分の中にある嘆きを大事にする人ほど、悲嘆のプロセスが早くすすむからだ。

自転車をこぎながら、わずかなその人の人生の中で、関われたことを振り返る。もっとこうしてあげればよかった・・・・
という想いの方が多いかもしれない。家族はもっとそんな想いにかられているのだろうと思う。
できるだけ悔いのない看取りをできるように、支えていきたいなと、また改めて思った。




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