目黒の学芸大学でチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや
8月21日は、サロン楓http://salon-fu.net/contents_311.htmlで、愛と死を考えるお話会だった。
2回目のその会には、前回から参加してくれる人もいて、
「心地よい時間だった。無理に共感しなくていいんだ。気持ちがふくよかになる時間だった」と話してくれた。
なかなか話しにくい「死」というテーマの中で、静かに凍結していた想いを話してもらったりする時間は、尊い時間になったようだった。
まほさんのお手製とうもろこしの入ったコーンおむすびと、オクラの重ね煮の素麺は、優しく美味しい味で、緊張をしていた人の心に沁み入り、心をほぐす大切なキーになっているように思う。
これからの親の介護や看取りについて備えたいと思っている方が、今回は集まったので、私の姑の看取りの体験を話した。
話を聴いた後に、嬉しかったのは「介護って大変で苦しいものだって思っていたけれど、それでいいんだと思いました。可能性を感じました」という言葉。
人が亡くなるという時には、色々な「死の壁」というものに直面する。
息が苦しくなったり、身の置き所のない辛さがきたり・・・・。
それを、横にいる看取る人がどれだけ見守れるかにかかっていると思う。
私がはじめての緩和ケア病棟でお世話になったお医者さんは、いつももっと苦しんでください~と、私が患者さんのケアについて悩んでいると、にやりとしながら、そんなことを言っていた。
生きている以上は必ず苦しみがあるという仏教の教えから、いきついた先生の考えは、万人にはうけないと思うけれど、もっともだと思っている。
後にも先にも、ナースにアイスコーヒーを淹れてくれるお医者さんは、そうそういないだろう。
先生と、冷たいアイスコーヒーを飲むのが、好きだった。
先生とのやりとりから、最近頂いた言葉。
私は最近、周囲の人に以下のように言う事が増えてきました。
『このような状態なら、苦しむ声を聞いて、苦しむ姿を見て、見守って、
命の終わりに近付いた人の、人間の、生き物の雰囲気を味わって、
二度と味わえない時間を過ごそうよ。皆で苦しみましょうよ。』
(『私自身の為に』ですよ。)
一緒に苦しんで、肉体的にも精神的にも疲れ果てた時に、その人との別れがやってきて、
一緒に死んだようになる。そうやって、本当に死別ができるのかもしれないと思う。
☆☆☆☆
サロン楓のまほさんと、二か月に一度少しずつ続けていこうということで、
次回も続きます。
3回目は 10月23日(金)19時を予定しております。
ご興味ある方は、ぜひご参加ください。
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