2015年4月1日水曜日
死についての瞑想会 VOL1
とある人が、「私にとって、ターミナルケアはライフワークなんで」と言ったことがあった。そんなことをさらりと言う看護師さんに、正直驚いた。終末期ケアに生活を掲げているなと・・・・。
しかしながら、自分自身も10年近く安寧な死へのケアは一体なんぞやと追い求めてきた。
いつの間にか、私にとっても、この終末期患者へのケアや、看取りのケアは、人生の大きな
核となってきてしまった。
死にゆく人が心穏やかに、そしてケアワーカーも心穏やかであるとすれば、死は社会的にいう「苦しくて、辛いもの」ではなくなり、まさにoshoの言うセレブレーションとなるのだと思う。
ケアの中で、瞑想というものがいかに大切さかというのは、自分自身の経験を通してわかっていたのだけれど、現場の中に瞑想を取り入れていくというのは、難しいように感じていた。
ビジネス会では、「マインドフルネス瞑想会」が流行ってきていて、医療の中でも「マインドフルネス瞑想」を取り入れる医師も出てきた。昨年は「マインドフルネス学会」というものまで登場した。今、
まさに瞑想を現場の中に取り入れられる時代になってきたのではないかと感じる。
去年、以前から友人に勧められていた生と死のワークショップを世界でファシリテートしているマニーシャにほんの少しの時間会うことができた。
とてもシンプルなワークをしたのだけれど、私が去年看取った姑に対し、こんなに心穏やかな気持ちで触れていただろうかと、後悔のような、胸がつんとするような気持ちになった。
専門的に看護に対して自信をもち、後輩の指導、はたまた学生指導までやってきた私ではあったけれど、全然できていなかったなと思った。
ただひたすら命を終えようとする姑のところに、愛をもっていた時間もあったが、その場にいるのが
辛い自分にも気付いていた。
よく病室にいると、意識がなくなっている患者さんのそばにいることができず、帰ってしまったり、
どこかへ行ってしまう。それは、普通の反応なのだと思う。
そして、彼らはよく「何もできないから。私じゃ・・・・・」という。
死を間近にした人たちに対し、私たち医療者も何もすることができない。ので、ただそこにいるということが求められる。しかし、これは、とても難しいことだと感じていた。
何かをすることに慣れている私たちは、ただそこにいて感じて、呼吸をみつめるという瞑想的な
作業ができないのだと思う。
しかし、マニーシャのワークは、それらがとてもシンプルではあるものの、効果があるということを実証してくれた。そして、マニーシャは死について、話したり考えたりすることに抵抗がある社会に対し、「革命を起こしなさい」という言葉を残し、インドへ帰っていった。
私は、必ずいつかは死を迎える自分のために、そしていつかは別れなくてはいけない家族らと
心穏やかにお別れをできたらいいといつも思っている。
そんな思いから、精神社会福祉士であるアナマと、神秘家oshoの集大成とも思える「死について41の答え」の本を翻訳するアジータと私とで行う『死についての瞑想会』を企画した。
瞑想会では、それぞれのシェアと、頭のごみを掃除する瞑想(ジベリッシュ)と、呼吸をみつめる瞑想を行った。そして、「死について41の答え」の本をテキストに、その時の気分で選んだ部分をみんなで朗読した。
私にとってこの短い時間の瞑想が、とても心に響いて何かの扉が開いたかのように、涙があふれ
てとまらなかった。ただひたすらに、生きている喜びと感謝でいっぱいになった。
短い時間でも、こんなに深い瞑想ができることに驚きとともに、嬉しくてたまらなかった。
誰かのためにした瞑想会は、何よりも自分のためであった。
そして、こんなに近くで素晴らしい友人がいることに感謝した。
どんなに苦しくて、辛いことがあったとしても、瞑想に救われるのではないかと、心の底から感じた。
死にゆく人にも、見送る人にとっても、瞑想は必要だと思う。それらを活かして最期の大切な時間を過ごしてもらいたいと思う。
『所有しないように、何もつかまないように、執着しないようにすることだ。
物事が来ては過ぎていくにまかせなさい。
物事があなたを通り抜けるにまかせるのだ。そうすれば、あなたはつねに傷つきやすく、開いた
ままでいることになる。そうすれば、大いなる美、大いなる恩寵、大いなるエクスタシーがある。
悲しみも喜びと同じように、あなたに深みをもたらす。
あなたの死は、生そのものと同じくらい大いなる贈り物をもたらすだろう。
そうなれば人は、この存在全体が自分のものだとわかる。
夜も昼も、夏も冬もーすべては彼のものだ。
傷つきやすく、オープンで、くつろいだ状態にとどまることで、あなたはマスターとなる。
-osho ー』
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