2015年8月7日金曜日

エロス・タナトス~愛と死を考えるお話し会 vol2


クリムトの『死と生』の画をはじめてみた時、動けなかった。
感動と共に、愛と至福に生きる人の横には、いつも一瞬で消え失せられてしまう死神がいるんだなと思った。闇と光の中で、自分はどうやって生きて行くのかを指差しているメッセージなんだろうと、涙した。

サロン楓http://www.salon-fu.net/のまほさんとのコラボレーションで、死についてのお話し会をするということになった時、まほさんは、「エロス・タナトス~愛と死を考えるお話会」と命名づけてくださり、嬉しかった。

死をみつめるということは、同時に生をみつめるということ。その両方があってこそであり、
私の胸にあるクリムトの絵がよみがえってきたのだ。

まほさんとお話会をするに至ったのには、いきさつがある。

まほさんから、一通のメールが届いた。「父親を通して、いかに死ぬのかを考える機会が訪れました。人はいかに死ぬのか?というお話を聞きたいのですが」という内容であった。

まほさんは、私の話を聴きながら、自信の疑問や、感情、家族の想い、そして父親に何ができるかということを、整理していった。

彼女の凄いところは、ちゃんと感情を感じながら、それらを少し離して、物事をみつめているところだった。
さすが、からだとこころがつながるサロンをされているだけに、自身の肉親においても、しっかりと考え、行動しているのが素晴らしいと思った。

まほさんと話をしていくなかで、「ホームホスピス」という場所のが浮かびあがってきた。、まほさんは、早速行動に移され、場所がみつかると共に、あっという間にホームホスピスで療養することが決まった。

ホームホスピスhttp://www.npo-hhm.jp/index.htmlとは、宮崎の市原 美穂さんから発信された住み慣れた地域で、安心して最期までくらしていけるように5人くらいで「とも暮らし」をする場所である。

ヘルパーが24時間在住しており、外からくる訪問看護師と訪問診療医で、一人で暮らせなくなった人や、家族の介護力が不足している方々が、おうちのような温もりや安心感をもって暮らせるように支援している。

市原さんの活動に共鳴して、少しずつ全国でホームホスピスが増えている。

私は、病院から地域に出たのは、やはり病院の外にいる困っている人を支援したいということであった。

病院の医師や看護師たちから聞けないこと、知っておいてほしいことを、なんらかの形で発信したいと思っていた。

今回、まほさんとのご縁で、お話会をする機会が得られて、本当にありがたく嬉しいと思っている。

1回目は、10人以上も集まり、「死が怖いと思っていたけれど、少し和らいだ」という言葉や、「ずっと話せなかったことを話せて嬉しかった」と、緩んだ笑顔をみれて私自身も救われた。

私自身がたくさん話をするよりも、その人その人自身がみつめている死についての想いを、共有すること、医療者としての目線からみえることをお伝えすることが、私の役割なのだと気付いた。

ぽつんぽつんとやっているので、タイミングのあう方は、ぜひ参加していただければと思う。

【残席2名】お早目にお申し込みください。

日時:8月21日 19時~21時30分(18時開場)
場所:東京目黒さろん楓http://www.salon-fu.net/contents_311.html
会費:5000円(美味しいおむすびつき)




2015年8月6日木曜日

白湯の効果

さて、その昔私はなんと新潟から東京の祐天寺までアユールヴェーダを習いに来ていたことがありました。10年も前になるのだけれど、朝イチの新幹線に飛び乗り、半年くらいのコースをただひたすら受けて、学んでおりました。

今は、その通っていたハタイクリニックhttp://www.hatai-clinic.com/の近所に嫁に来るとは思いもよらなかった・・・。

そんなアユールヴェーダスクールでは、色々と役に立つことを教えてもらったけれど、体によい飲み物は白湯だということが一番心に残った。

白湯は、体に負担をかけずに、血液の流れをよくして、老廃物の排泄を助けてくれるもの。

カフェインが入っているようなお茶やコーヒーは、すぐに尿として排泄されてしまうけれど、白湯は体の水分補給としてしみ込んでくれるという。

朝起きたら一杯の白湯・・・・・を、想いだしたように飲んでいた私に、チネイザンのクライアントさんが、寝る前の白湯を進めてくださった。

寝る直前にあちあちフーフーしながら、なるべく熱いままの白湯を飲むのだという。
寝起きがすっと起きれるようになり、排便にもいいのだとか・・・。

お客様は宝です・・・・じゃあないけれど、本当皆さん、私に有益なことを教えてくれるから、お金を頂きながら、いつもありがたいことを学ばせていただいている。

ということで、最近なるべく朝起きた時と、寝る前には5分~10分ほどぐらぐら火にかけたお湯を200CCほど飲んでいる。

朝飲むとまず、どばっと汗が出て体の末端まで温まるのが爽快だったりする。

昨日は、友人のお誘いで横浜の花火大会まで出かけて、たくさんの御馳走とお酒をいただいてしまいました。
そして、高層マンションからみる絶景の花火をみて・・・・・踊って笑って楽しい時間を過ごしたのでした。


へろへろになって帰ってきて、早速したのは、白湯を飲んで寝ること。
花火の余韻にひたりながら・・・・。



次の朝、二日酔いにもならず、すっきり起きられたのは、やはり白湯のおかげではないかと。

改めてお白湯すごいぜー。さすが、アユールヴェーダーだぜーい。

2015年8月4日火曜日

合気(愛魂)道場再び その2

私は自己肯定感や、自己愛が低いので、相手に求められ、自分を必要とするようなパートナーと共依存的な関係性をもつことが多かった。

また父親からのいつも言われ続けた「一生懸命やれ」という言葉の呪縛があって、自分が一生懸命相手に尽くせば、いい結果が返ってくると期待をすてられなかった。

そういったことを繰り返し、この事象について気付いてきたが、姑との関係性は、本当に根本的な在り方を変えないと難しい状況にあった。

愛魂は、ただその相手に対し、一瞬「愛する」「愛しいとおもう」スイッチに変えればよいので、可能性を感じた。

「ただ愛すればいいんだよー」という言葉を思い出し、姑といる時間には、「愛する」スイッチへと変換するように心がけた。私が最も得意とするマッサージという技術をつかって、毎日姑へ愛魂の実践をはじめた。

1か月もすると、姑は「幸せだわー」というようになり、心からの笑顔をみせるようになった。

一番驚いていたのはパートナーであり、「あの母を変えた・・・・」と喜んでいた。


愛に勝るものはないと、姑をとおして学んだ。
愛魂の実践なくしては、姑を看取るのは難しかったのではと振り返る。


そんな姑との想い出を想い出しながらの久しぶりのお稽古では、はじめに組む相手と「背中合わせ」をし、それから技をかけあう。この背中合わせは、相手との境界線をこえやすくし、同調しやすいのだという。

自分よりも大きい体を力で倒そうとすると、それは難いが「ありがとう」という想いがうまく伝わると、相手を倒すことができる。

なかなか技がかからないと、いつも助けてくれる吉野さんは
「動かせないって思っているでしょ。可能性をブレーキするのは、他の誰でもない自分なんだよね。鼻で呼吸してごらん」とアドバイスをくれる。

その呼吸がリセットのボタンのように、私は大きな体の吉野さんを、よろめかすことができた。

愛魂する時、抵抗するよりも相手をふわりと受け入れる感覚がある。この受け止めてもらう感覚が、相手に伝わることが何よりも大切なのかもしれないと改めて思う。



☆☆☆☆

猛暑に体と心のデトックスを

チネイザン&レインドロップセッション好評実施中

【予約可能な日時】※サロン改造中につき、施術できる日時が限られております
8月 9日(日) 13時~
8月11日(火) 10時半~ 13時半~ 16時~  19時~
8月18日(火) 10時半~ 13時半~ 16時~  19時~
時間の前後は調整できます。

2015年8月2日日曜日

合気(愛魂)道場 再び

最近ちょっと嬉しいことがあった。

去年とある雑誌の投稿に、姑の看取りについて論文を作成し応募した。
結果、落選であったが、なぜか忘れた今頃に、雑誌に掲載してもらうことになった!!

改めてその論文を読むと色々な想いが想いだされる。内容については、また折りをみて報告することとする。

私が姑の看取りを夫と共に成し遂げられたのは、愛魂の実践なくしてはあり得なかった。

愛魂とは、岡山のノートルダム清心女子大学大学院の物理学者である保江教授により見出された柔術体系である。

もともと合気道をされていた保江教授は、相手のことを大切に思う、愛することで、相手の筋肉を自分の意識下におけることを見出した。それが冠光流柔術である。http://www.kankoujiryu.com/nyumon.html

詳しくはこの本を読まれたし・・・・めちゃ面白い。




道場ですることは、先生や先生のお弟子さんにより、相手を愛することや、ありがとうという言葉を言いながら、相手を起こしたり、倒したり、ひっぱりあげたりする。合気道のように、相手をバターンと倒す技もする。

技がかかると、本当にあっさりと相手の体を、力まかせに動かすのではなく、自分の意に沿うように動かせるのだ。

今日も久しぶりの稽古を受けたが、自分が相手との境界線なく、相手と同調すると、相手の体を楽に動かすことができた。

私が姑との関係性において一番気付かされたのは、私のコミュニケーションのやり方は、自分が何かしたら、相手からのリターンを求めているという在り方であった。

見返りを求めるコミュニケーションに、姑は心を開くこともなく、行き詰っていた。

そんな時に、愛魂を実践するお弟子さんに「愛すればいいんだよ~」とあっさりと言われた。

それができないから、苦しんでいるのに・・・・と思ったけれど、心を無にしてただ愛することに意識を向けた。

次回につづく


☆☆☆☆

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2015年8月1日土曜日

ブルームーンに髪の毛をドネーションする

ブルームーンは、ひと月のうちに2回満月が訪れるという日。「めったに訪れない幸運なこと。みると幸せになる」という言い伝えがあるとか。

昨日は、SNSを眺めていると、たくさんの人がお月さまを写真にアップしていました。月を愛で、楽しんでいる夜だったんだなと思うと、それぞれの場所で月と一緒に呼吸をしていたんだなと感じました。

この満月を期に、また一つの大きな区切りを迎えられそうで、ふと思いたち、髪の毛を切りにいってきました。

私のスーパーロングヘアーは、敬愛するベリーダンサーのmishaalや、彼女から教えを受け継いだsisterをみて、長い髪にしていたかったのでした。そして、「子供ができるまで切りたくない」という密やかな願かけをしていました。

髪の毛が長いというのは、それだけ髪を洗う時間も、乾かす時間も、整える時間もかかるわけで、実は色々と大変なことが多いもの。酵素風呂に行って髪の毛をあらうのに難渋してしまい、髪の毛を切ってしまおうかと、思うようになりました。

そんな時、つきよみサロンの千秋さんが、めちゃ素敵な髪形になっていて、センスの良い彼女がめちゃ惚れしているという美容院に興味を持ちました。
美容院の名前はその名も「イエス・ジョージ」http://homepage3.nifty.com/yesgeorge/
髪の毛を切る機会は、色々あったけれど、なぜかふん切れがつかなかったのに、今だー!という想いがわいてきました。

そして、私の髪の毛は、かなり毛量が多く、色つやがよいと、よく褒められるので、これをいかそうと考えました。そこで、ヘアードネーションということを思いつきました。
 詳しくはJHDCの活動をみてください http://jhdac.org/about/

髪の毛の長さは最低でも30センチが必要とのことで、難なくクリア!
私の想い重いおも~い髪の毛も、ひと様の役に立つならばと嬉しくなりました。

前日には長い髪の毛にさよならするのに、サリーを着て記念撮影。
【御近所に住む美魔女のるぴな様撮影】
髪を切る当日は、調金デザイナーのももさんにも、お願いして花を持って撮影。
そして、いざ「イエス・ジョージ美容院」へ。
美容院につくと、スタッフの人が優しく迎えいれてくれました。
店内は、アンティークの骨董品が多く、都会のオアシスのよう。
45年の歴史をほこる美容院。


髪を切る前・・・・・改めてめちゃ長い。お尻の割れ目までありました。
こんなに長くして、綺麗な髪はなかなかないとお褒めの言葉を頂きました。


定規で測って35センチ近くを束ねると、トランプ模様みたい?!
「自分で切ってみますか?」と言われ、ジョキン・・・・・・。何とも言えない感触。。。。
切った後の髪の毛の束。。。。かなり多いと思われます。
そして、まるで学生のような・・・・・日本人形のような頭。「若返りましたね!」と言われました。
正直、思いっきり、ざっぱり切ってもらってよかったのだけれど、切ってくださったスタイリストの方は、少しずつ髪形を楽しんでもらえるよう、また長い髪の余韻を楽しんでもらえるよう配慮してくれたスタイルになった。

尚且つ、「アップするには、ちょうどいい長さなんですよー」といくつかの簡単なアップ方法を教えてくださった。


最後に、ジョージさんと。恐れ多くて、ジョージさんに切ってもらうのを躊躇してしまったけれど、次回は彼にいじってもらいたいな。昔はめちゃめちゃもてまくっていたようだけれど、今は自称おじいちゃん。何十年と仕事をしていても、お客様にたいする謙虚さと、真摯な態度はみていて素晴らしいと思った。


家に帰ってパートナーにみせると、言われた言葉が

「ジョン・レノンみたい・・・・・・」と一言。

ええ?!!!!
そそそそ、そうですか。微妙な反応に、ちょっとしょんぼりな私。

翌朝体重を測ると、1.5キロほど減っていた。
そりゃあ重たいはずだよね。

今月は心と体と家のものをどんどん軽くさせますー。


2015年4月1日水曜日

不定休にセッションしております

なぜ、ナースの仕事があるのに、チネイザンとかをしているかと言うと・・・・・

数多くのがんの末期の人たちの体や心に触れて、とても悲しくなったのです。

どうして、そんなにもストレスや、嫌なことを我慢してきたのだろう・・・・・

私たち医療者は、その人らしさを支える看護をしようというのに、この人は自分らしく生きてきたのだろうか・・・・

内臓や体の痛みや声を無視して、病気を作りだして死へ追いつめているのは、
このうえなくその人自身なのでは・・・・

若くして、宿命的な辛い別れもあるけれど・・・・・

もっと、まだここまで体を追いつめるまでにできることはあるはず?!
と、たどりついたのが、チネイザン(気内臓療法)でした。

怒りは肝臓に、

悲しみは肺に、

恐れは腎臓に影響があるように、それぞれのクライアントさんに感情が密接にかかわって
いるのを目の当たりにして、日々命の神秘や中医学の素晴らしさを感じています。

もし、病気になる以前から、もっと自分の体の声をきくことができれば、幸せに健康で
いられるのだと思っています。

だから、私は病気で苦しむ人の看護をする傍ら、チネイザンで皆様の内臓をもみもみしたい想いなのです。

介護をして、疲れ果てている人も、

子育て中のお母さんでも、

経済的に余裕がないけれど、やってみたい人も、どんな方でもいらしてください。

お子さん連れで来られる方もいらっしゃいます。

かわいい赤ちゃんをみてくれるベビーシッター(羊)?!もいます。

セッションの日程は、不定休でございます。気になる方は、どうぞメールにてご連絡をいただければと思います。

死についての瞑想会 VOL1



とある人が、「私にとって、ターミナルケアはライフワークなんで」と言ったことがあった。そんなことをさらりと言う看護師さんに、正直驚いた。終末期ケアに生活を掲げているなと・・・・。

しかしながら、自分自身も10年近く安寧な死へのケアは一体なんぞやと追い求めてきた。
いつの間にか、私にとっても、この終末期患者へのケアや、看取りのケアは、人生の大きな
核となってきてしまった。

死にゆく人が心穏やかに、そしてケアワーカーも心穏やかであるとすれば、死は社会的にいう「苦しくて、辛いもの」ではなくなり、まさにoshoの言うセレブレーションとなるのだと思う。

ケアの中で、瞑想というものがいかに大切さかというのは、自分自身の経験を通してわかっていたのだけれど、現場の中に瞑想を取り入れていくというのは、難しいように感じていた。

ビジネス会では、「マインドフルネス瞑想会」が流行ってきていて、医療の中でも「マインドフルネス瞑想」を取り入れる医師も出てきた。昨年は「マインドフルネス学会」というものまで登場した。今、
まさに瞑想を現場の中に取り入れられる時代になってきたのではないかと感じる。

去年、以前から友人に勧められていた生と死のワークショップを世界でファシリテートしているマニーシャにほんの少しの時間会うことができた。

とてもシンプルなワークをしたのだけれど、私が去年看取った姑に対し、こんなに心穏やかな気持ちで触れていただろうかと、後悔のような、胸がつんとするような気持ちになった。
専門的に看護に対して自信をもち、後輩の指導、はたまた学生指導までやってきた私ではあったけれど、全然できていなかったなと思った。

ただひたすら命を終えようとする姑のところに、愛をもっていた時間もあったが、その場にいるのが
辛い自分にも気付いていた。

よく病室にいると、意識がなくなっている患者さんのそばにいることができず、帰ってしまったり、
どこかへ行ってしまう。それは、普通の反応なのだと思う。

そして、彼らはよく「何もできないから。私じゃ・・・・・」という。

死を間近にした人たちに対し、私たち医療者も何もすることができない。ので、ただそこにいるということが求められる。しかし、これは、とても難しいことだと感じていた。

何かをすることに慣れている私たちは、ただそこにいて感じて、呼吸をみつめるという瞑想的な
作業ができないのだと思う。

しかし、マニーシャのワークは、それらがとてもシンプルではあるものの、効果があるということを実証してくれた。そして、マニーシャは死について、話したり考えたりすることに抵抗がある社会に対し、「革命を起こしなさい」という言葉を残し、インドへ帰っていった。

私は、必ずいつかは死を迎える自分のために、そしていつかは別れなくてはいけない家族らと
心穏やかにお別れをできたらいいといつも思っている。

そんな思いから、精神社会福祉士であるアナマと、神秘家oshoの集大成とも思える「死について41の答え」の本を翻訳するアジータと私とで行う『死についての瞑想会』を企画した。

瞑想会では、それぞれのシェアと、頭のごみを掃除する瞑想(ジベリッシュ)と、呼吸をみつめる瞑想を行った。そして、「死について41の答え」の本をテキストに、その時の気分で選んだ部分をみんなで朗読した。

私にとってこの短い時間の瞑想が、とても心に響いて何かの扉が開いたかのように、涙があふれ
てとまらなかった。ただひたすらに、生きている喜びと感謝でいっぱいになった。

短い時間でも、こんなに深い瞑想ができることに驚きとともに、嬉しくてたまらなかった。

誰かのためにした瞑想会は、何よりも自分のためであった。
そして、こんなに近くで素晴らしい友人がいることに感謝した。
どんなに苦しくて、辛いことがあったとしても、瞑想に救われるのではないかと、心の底から感じた。

死にゆく人にも、見送る人にとっても、瞑想は必要だと思う。それらを活かして最期の大切な時間を過ごしてもらいたいと思う。

『所有しないように、何もつかまないように、執着しないようにすることだ。
 
 

 
物事が来ては過ぎていくにまかせなさい。

物事があなたを通り抜けるにまかせるのだ。そうすれば、あなたはつねに傷つきやすく、開いた
ままでいることになる。そうすれば、大いなる美、大いなる恩寵、大いなるエクスタシーがある。

悲しみも喜びと同じように、あなたに深みをもたらす。

あなたの死は、生そのものと同じくらい大いなる贈り物をもたらすだろう。
そうなれば人は、この存在全体が自分のものだとわかる。

夜も昼も、夏も冬もーすべては彼のものだ。

傷つきやすく、オープンで、くつろいだ状態にとどまることで、あなたはマスターとなる。

                               -osho  ー』