2015年10月26日月曜日

フランスに行くの巻き⑧海の聖マリア様に会いに

目黒の学芸大学駅近くでチネイザン (気内臓療法) をしているホリスティックナースの日々のあれやこれや

朝起きてお城のホテルの裏庭で気功をする。
フランスに来て思ったのは、日本だとラジオ体操したり、中国だと気功だったりだけど、フランスのポピュラーな健康法ってなんなのかしら・・・・?!どうやって健康を保つのだろうということ。

日本では、健康オタクのように様々なあれやこれやがあるなと改めて思ったりもする。

この日は、美味しい朝ご飯を食べて、海の見える自然豊かな サント・マリー・ド・ラ・メールという海の聖マリアたちという意味を持つ街へと向かう。
朝ごはんは珈琲とクロワッサンがほとんど

カルカッソンヌまでは、同じようにしてバスと各停列車を乗り継いで、そこからゴッホが描いた街並みというので有名なアルルの街へと向かう。

10時50分  couiza montazels バス停 発
11時12分  Limoux駅 着
11時18分  Limoux駅 発 (各駅停車)
11時50分   carcassonne 駅着 
12時 33分   carcassonne 駅発(特急)
15時02分  Arles 駅着

アルル駅からは、バスが出ていると聞いたけれど、どこのバス停で何時に出るのか分からず、
しかも私達のお目当ての教会は17時までというから、間に合うのかどうか焦りながら走り回る。

警察官に聞いてみたり、キヨスクみたいなお店のお兄さんや、全く英語の通じないおばさんに声をかけてようやく16時に出発するのを確認した。

最後に聞いたおばさんは、私達がバスに乗るのを見守り、
「bon voyage!!」とにこやかな笑顔と共に手を振っていた。

見知らぬ人に「よい旅を~!」と言われるのは、いい慣習だなと思いつつ、自然豊かなカマルグ湿原の景色をバスに乗りながら楽しんだ。
 お馬さんがたくさん!

カマルグ湿原地帯は、自然保護地域に指定されていて、野生の馬や野鳥、フラミンゴが生息しているのだという。ヨーロッパにおける自然の聖域ともいえる所で、平和でのどかな風景がみえる。

カマルグの白馬は海の泡から生まれたと伝えられている。

そんな風景を楽しんだ後、16時50分にようやく目的地のバス停についた。
ガイドブックを片手に、町の中心にあるL'EGLISE教会へと走りついた。
切符売りのおじさんは、
「時間がオーバーしちゃうけど、仕方ないな~20分くらいでね~」
と言ってくれて、案内の通りに教会の階段を昇ると、美しい風景が。

おっこちないように、必死だけど、ポーズを決めるの巻き

で、すごくよかったんだけれど、マリア様はいずこ?!

黒マリア様に会うために教会に行ったのに、なぜか屋上?!なので、下へ降りて聞いてみると、
どうやらここには黒マリア様がいないと言われる。(ガイドブック上にはいたはず)

フランス語で、あっちの方と言われるけれど、本当にさっぱりよく分からない。
でも、とりあえず指をさしてくれた方向へ歩いていくと、なぜか紳士なもの静かなおじさんが話しかけてきてくれた。

「黒マリアなら、私が案内しよう・・・・」
そう言って、静かに歩きだした。


彼の後についていくと、ホテルの後ろに新しくできたような教会の入り口があり、(これは現地に行かないと、絶対わからないと思う・・・・)そこの扉をあけると、お目当ての聖サラという黒マリア様がそこにいた。
ジプシーたちの守護神となっている聖サラ(黒マリア)

遠い昔、イエスの死後、ユダヤ人によって3人のマリアが海に追われ、流れ着いたのがこのサント・マリー・ド・ラ・メールだっという。3人のマリアは、聖母の妹のマリア・ヤコブ、ヨハネの母マリア、そしてマグダラのマリア。そして従者のエジプト人であったサラも一緒だった。


この街は巡礼の地といわれ、巡礼者の祭りがおこなわれのだという。

なぜ、街の教会から、こちらの教会に聖サラが移動したのかは、よくわからなかったけれど、
とりあえずお会いできてよかった。


日が沈むのを、ゆっくり眺めながら街を散歩した。

この街には、様々な巡礼者が集うことで、フラメンコギターの演奏会が多かったりする。
お店から激しい歌声と、ギターの音色が聞こえてくる。

そして、どうしても食べたかった生カキと、ムール貝を食べた!
ぬおーっ。音楽よりもこの日はフレッシュな海のもの~!!!
美味しかった~!



黒マリア様に会いたくて遠いここまでたどり着いた巡礼者の私は、道に迷ってもちゃんと天使のようなおじさんに出会えて連れていってもらえた。

そう、いいタイミングで優しく微笑んで、案内してくれたガイドのおじさんは、天使だったに違いない。
そう想って海辺を歩いていたら鳥の羽根が。
やっぱり、天使のお導きだったんですね。

いつも守っていてくれたありがとう!



いよいよ マルセイユの街を走り抜けろ~につづく。

2015年10月19日月曜日

フランスに行くの巻き⑦ル・レンヌシャトー

目黒の学芸大学駅近くでチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースのあれやこれや

ルルドからの次の行き先は、レンヌ・ル・シャトーという謎の多い場所。




映画「ダヴィンチコード」の核となる隠された秘密の基となったのが、レンヌ・ル・シャトーにあるというのを、フランス旅行に行くのに調べていたら出てきたので、ミステリー、UFO大好きの夫に話すと、早速「行きたい!!!」とのってきたので、行くことにした。

しかし、ルルドからのここへの道は、日本版のガイドブックには書かれておらず、何とかフランスの鉄道乗り換えのサイトを検索して、道のりを決めた。

私任せにしていた夫は、この時刻表をみて驚いていた。
「これって電車からバス乗り場まで、5分しかなくて、この5分の間に行けるのか?!
 生きて日本に帰れるか、わからないぜ」

と言われて、そりゃあ確かにそうだと気付いた。
が、この時間通りに行かなければ、何時間もバスを待たなくてはならない。

ここは運に任せて、ルルドからカルカッソンヌの電車に飛び乗った。
                                フランスは、バゲッドがやはり美味しい!しかもでかい!


AM 9:44  LOURDES 駅発
   11:33 TOULOUSE MATABIAU 駅着
   11:49 TOULOUSE MATABIAU 駅発
   12:31 CARCASSONNE 駅着
   
そして、駅に着いてから問題のバス停までは、どこにバス停があるのか分からない。
しかも、南フランスは大いにみんなが英語が通じなかったりするので、とりあえずダッシュで
駅を出て「クイーザクイーザ バスバス!」とバス停らしいところで、言ってみると、
「あっちだあっちだ!」と指を指す方へ走っていった。

すると、それらしきバスがあり運転手に確認すると、うんうんと頷いてくれる。
ギリギリ間に合ってほっとした私達はバスに揺られて目的地まで行く。
   12:36 CARCASSONNE 駅からバス
   13:34 COUIZA MONTAZELS バス停

この日の宿は、憧れのシャトーホテル。
フランスでは、お城をホテルにしているところがあるのだけれど、パリ周辺だとうんと高いのが、さすが南の郊外ということもあり、まずまずの料金で泊まることができた。

並木道を歩いたその先には、お城があった。


中庭が素敵で、結婚式のパーティーの準備をしている人がいたりして、私達はそこでちょっと涼んで、いよいよル・レンヌシャトーへと向かうことにした。

このホテルからは、ホテルのお姉さんに聞くと、5キロくらいだという。
タクシーもあまり通らないので、散歩がてら、山道と知らず、私達は歩きだした。

道並みは、のどかで歩いている人は一人もいなかった。

途中、UFOが出るので有名だというヒュガラッシュ山を眺める。

ようやく辿りついたル・レンヌ・シャトーは、小さな集落で、わずか20人ほどが住んでいるという。


ソニエール神父が、この地に莫大なお金を使ってレンヌ・ル・シャトー教会を修復する。
その修復する際に、入口には「ここは恐ろしい場所」という奇妙な文字を飾り、教会の出入りする
聖水盤には、なぜか悪魔をとりつけた。
                  ぶきみな感じのものが取り付けられている

            普通の教会は天使みたいなものが取り付けられているのに、悪魔?!
                    

この様々な謎の多いシンボルを残したソニエール神父は、街の改修や、骨董品の収集、様々な大工事を行ったが、どこから工事資金を調達したのか、謎のままだという。

彼が亡くなる前に、家政婦が多くの紙幣を燃やしていたとか、亡くなる前に棺を頼んでいたとか、
謎が多いという・・・・・・


しかし、なぜかこのミュージアムには、日本語のパンフレットがあったのが、一番の謎だった。
こんな所まで来る日本人は多いのか?!という・・・・・。
                      マリア様と骸骨?!

その恐ろしいとか、不思議な場所に行くとどうなるのかというのを感じてみたかったけれど、ただ暗いな・・・という感じだった。

そこの秘密が結局何なのかはよく分からないけれど(興味のある方は、ぜひ色々調べてみてくだされ)、二人で歴史ある不思議な場所に行けたのが、私の満足だった。

往復3時間くらいかけての道のりを経て、ホテルに着いた私達はディナーを楽しんだ。

ホテルのソムリエは、なかなかいいワインをセレクトしてくれて、フランス旅行で一番美味しいワインにありつくことができた。


そうして、ディナーも美味しかったけれど、デザートがこれまた格別に美味しかった!

そして、いつしか夢の中へ・・・・。

産まれてはじめてのお城で眠りにつく。


謎の多い場所から、黒マリアに会いに行くへつづく・・・・・・・


2015年10月18日日曜日

フランスに行くの巻き⑥ルルドの夜

目黒の学芸大学駅近くでチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースのあれやこれや


ルルドでは、もうひとつの楽しみがあった。

それは、この時期に行われるというろうそく行列(Processions Mariale)に参加すること。聖母マリアの出現シーンを各国の代表者が読み上げ、賛美の合唱が繰り返されるという。

4月初旬から10月下旬に行われるというこの行列には、車いすの人や、ベッドに横になった人も参加するという。

私達は、少し早目の夕ご飯を食べに街をぶらついた。

フランスには、黒人の人たちも多くいたりして、ケバブ屋さんも目立つ。労働者の人たちにとっては、リーズナブルなケバブは、人気なのだろう。

私達が食べている間、同じ仲間らしきお客がひっきりなしにやってきていた。

そして、かなりの防寒対策をして、ルルド製のポンチョも購入して、聖域へと向かった。


この日は、悲しいかな雨だった。
昼間は長袖一枚くらいの過ごしやすい気温でも、夜には、冷えてくるルルド。
そこへ冷たい雨。
私は、またびびった。

寒い雨の中、1時間も歩いていたら風邪をひかないかなと。

しかし、車いすの人達がかなりたくさん集まってきていた。

その情熱というか、熱意にややぐっとなってくる。

何やら国ごとにプラカードをもって、並ぶのだけれど、なぜか私達はイタリア人にまぎれて
並んでみた。

おみやげやさんで、買ったろうそくを持って。



「アヴェ・マリアなんとか~」と讃美歌を歌いながら、歩く。

歩く。歩く。

マリア様も歩く。


ゆっくりと、それぞれが何か祈りをこめて歩いているのだろう。

私は、日本でルルドに行きたかったという利用者さんを想い、そしてクリスチャンの友達を想いながら歩いていた。

10分ほどしただろうか、かなり降っていた雨がやんだ。
雨の後には、すがすがしい夜空となり、浄化の雨のように感じた。

一巡して、礼拝堂の前に立つと、司祭様が何かいいはじめ、どうやら終わりの祈りの言葉を伝えると、みんなが、フランス式の挨拶で、ほっぺにキスをしたり、喜びを現わしているのが分かる。



言葉が分からなくとも、言葉をこえて、ただ一つ、共に祈るということ。
祈り、賛美歌を歌う。

そんな夜は優しくて、幻想的で、厳かな気持ちになった。


2015年10月4日日曜日

フランスに行くの巻き⑤ルルドで沐浴?!

目黒の学芸大学駅近くでチネイザン(気内臓療法)をしているホリスティックナースのあれやこれや
                      ルルドの朝陽を浴びる聖堂 

ルルドの朝は早い!
朝早くからミサがはじまり、人がたくさんいる。ちょうど私たちが訪れたこの時期は、ヨーロッパ中のcancer samit なるものが行われていて、そのイベントに関わる人たちのタオルやら、ワッペンやらが目立った。


写真を撮っていると、元気そうなおばさんが、写真を撮って~と声をかけてきて、撮ってあげると、そのイベントについて教えてくれるのだけれど、フランス語だからよくわからない。。。。とりあえず、こんなところにまできても、ガンに関連したものと出くわすのだなと思ったりする。


長蛇の車いすの列
朝8時半からになると始めるためなのか、病気を患っている人のためのルルドの泉の洞窟前の
ミサを待つ人が並んでいた。ここにも多くのボランティアさんや、ナースの姿が。
この人たちは一見ディズニーランドのアトラクションのお兄さんや、お姉さんみたいなコスチュームだけれど、というボランティアの人たちで、ヨーロッパ系の赤十字のナース達らしい。

ルルドの泉の水は、夫と二人でゴクゴク飲んだけれど、沐浴につかるか悩んでいた。
なぜなら、一つの浴槽を一日1回水を替えたら、多くの人がその水風呂みたいなものにつかる
システムと聞いて、かなりびびった。

やはり、色々な人が来ていて、
色々な病気を抱えている人もきていて、

感染とか、
衛生面を考えれば、もちろんナースの私としては、ひるまざるを得ない。
というか、一般的に考えると思う。

ここへ来る前に読んでいた本では、かなりひどい膿が出ている人や、癌でどうしようもなくなった人も来るとか書いてあると、さらにビビる。

しかし、ここまで来て入らないでいるのはもったえないと思い、意を決して、入ることにした。

ラッキーなことに、下見に行った時には、50人近く待っていたのが、早い時間だったせいもあり、10人足らずだった。

何の申請もチェックもいらない。自分がどういう状況か伝えることもなく、ただ並ぶ。
見ていると、観光客ののりで、どう考えても健康そうな人達が並んでいるようにみえる。

もちろん、障害を抱えていそうな、歩くのに不自由な御婦人も見受けられる。


待っていると、ストレッチャーに乗ったお母さんと、それを介護する娘さんらしき人が出てきて、
その幸せそうで穏やかな笑顔をみていると、泣けてきてしまった。

こうして、万が一の奇跡を信じて、大変な思いで来ている人達に対し、ばい菌の元のように思っている私をちょっと恥ずかしく思うのと同時に、純粋にそれぞれが何らかしらの愛を受け取っているのだろうと思い、感激したからだ。

いよいよ私の番が近づいてきて、黒タイツに白衣のような出で立ちの化粧の濃いおばさんが、招きいれる。

カーテンの向こうでは、また5人くらいの人が待っていた。
裸になり、バスタオルのようなものでくるまって待っているのだけれど、これもまた使い回し。

壊れた英語しか話せない私には、韓国人のボランティアさんが、アシストしてくれた。
指示された通り、目をつぶっていると、また別の布にくるまれて、そのまま冷たい浴槽のような
中に入った。

一歩ずつ足を踏み入れるが、これが驚くほど冷たい。11度くらいだとか。
銭湯に行って、いきなり水風呂に入るような感覚。
こんなに冷たい中に病人が入っても、いまだ心臓発作で死んだ人はいないのだとか。

ほんの一瞬、時間にしたら10秒くらいだったんじゃないかと思う。

私の沐浴というか、ちょっと浸かるのが終わると、マザーのような人が、私のために祈ってくれた。
アヴェ・マリア アヴェ・マリア ということしか分からなかった。

出ると爽快であった。気持ちよくてすっきりとした感覚と、達成感で、川を眺めるレストランで乾杯した。


ただ私の祈りは、私の子宮が良くなり、そこに赤ちゃんが来てくれますようにと、ひたすら祈っていた。

⑥ルルドの夜につづく